記憶を巡らす。

2013年09月13日/ 沖縄戦/ その他

はいさい。ご訪問、ありがとうございます。



今週は久しぶりに級友に会いました。このブログ(少欲多施)も教えたから、その日はアクセス数が「バンミカシテ」いました。(ありがとう!)



ついでじゃないけど、質問するかのように記事を書いてみます。(そう、あなた宛ての質問です。)



確か高校一年のとき、平和学習という事で全校生徒(若しくは一年生全員)が体育館に集められ、「白旗の少女」の主人公のかたが講話をしていました。



ところが講話者は男でした。



戦争中は、親のアイディアで「男の格好だと敵に殺されるかもしれないから、髪を伸ばして女の子っぽくしていた」のだとか。
だから写真に撮られたときは「少女」に見えた、といった話の内容だったと記憶しています。



ちなみに、講話が始まる前に、蒸し暑い体育館で生徒は下敷きとか団扇で「ぱたぱた」仰いでいたら、学校の先生は「講師に失礼だからやめなさい」と言うものの、講師は「暑いから構いませんよ」と生徒をかばってくれていたのも印象に残ってます。



このときに聞いた話の内容は、大まかに覚えている程度でした。
その後「白旗の少女」は、映画化されます。その映画を3年前に見ましたが、高校の頃に聞いた内容とだいたい合っていました。



しかし!映画に出てきていた「少女」は正しく女の子で、名前も「比嘉富子」で、ご本人も(映画の最後に?)出演していたような?



ということは、高校の頃に僕たちに話していた男の講師は「いったいどこの誰?」という疑問が出てきました。



ここからは私の想像ですが、その男の講師というのは「比嘉富子」のコピー、、、つまり比嘉富子からしっかり話を聞いて、県内の各高校を(あるいは小中学校も)巡回して講話をする役目を引き受けたのかな?と。



なぜそうしたかと考えると、ご本人が一人で各学校を回るとしたら、それこそ何年もかかってしまうだろうから、3年もかかってしまうと、生徒は高校を卒業してしまう。ある世代の人を(関心の度合いに関係なく)たくさん集めることのできる最後の機会が「高校」で、卒業後はもう「関心のある人」しか集められないはず。だから「短期間でいっぺんに広める」ために、講話者を何人か養成したんじゃないだろうか?と思いました。



まあ、取り敢えず自分の記憶を確かめたいのは「高校一年の頃に「白旗の少女」の講話があったのか?」ということです。
詳しく知っている方がおりましたら、コメントをお願いします~。



タグ :白旗の少女

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Posted by 瀬長修 at 00:10│Comments(4)
この記事へのコメント
こんばんは。
『白旗の少女』私も観ました。
で、ご質問の件への直接の答えではないのですが、
もしかしたら、「オカッパの少年」の写真と記憶が混同されているのではないでしょうか?
こちら ↓ をご参照ください
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/7e55203eb9915128156ab194ffe74bb4
Posted by りんぼりんぼ at 2013年09月17日 01:09
りんぼさん

お久しぶりです。コメントありがとうございます。
リンク先も確認しました。
「オカッパ」にした理由などは、講演で聞いた話とよく似ています。
とはいえ、彼がそうだったのかどうか…
ちょっと判断が出来ません。
Posted by 瀬長修瀬長修 at 2013年09月18日 00:25
瀬長修 さん
もやもやしている記憶が、はっきりするといいですね。
ちなみに、私が見た『白旗の少女』は、映画ではなくテレビドラマでした。
それを見た次の三線のお稽古で、そういった話題になり、
「集団自害をすることになって、わたしは大泣きした」
という経験を話してくれた方がいました。
そのとき、手榴弾が不発だったので、今ここにいるのだということも。
Posted by りんぼりんぼ at 2013年09月23日 23:35
りんぼさん

コメントありがとうございます。
「手榴弾が不発だったので…」すさまじい経験をしてこられた方がいるんですね。
私たちはこういう証言を、次の世代に引き継いでいかなければいけませんね。
Posted by 瀬長修瀬長修 at 2013年09月24日 23:19
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