豊見城城址公園内にて戦没者追悼式
2015年06月24日/ 豊見城グスク/ 沖縄戦
はいさい。ご訪問、ありがとうございます。
今日は、地元の豊見城城址公園にて戦没者追悼式に参加してきました。
戦没者の供養だけでなく、「世界が平和になりますように」と祈りました。
公園内には、めったに入らないので、少し早く来て園内を散策しました。
園内は工事が入って、だいぶ様変わりしています。
(写真はクリックすると大きくなります。)
今日は、地元の豊見城城址公園にて戦没者追悼式に参加してきました。
戦没者の供養だけでなく、「世界が平和になりますように」と祈りました。
公園内には、めったに入らないので、少し早く来て園内を散策しました。
園内は工事が入って、だいぶ様変わりしています。
(写真はクリックすると大きくなります。)
↑ 旧県道7号線沿いにある看板。
↑ 道路敷設のための造成工事と思われます。
↑ 城址公園内の亀甲墓。
亀甲墓はこれだけではなく、園内に数ヶ所あります。
↑ 左は新しく造られた送電用の鉄塔。(回転させるの忘れてました。)
右は従来の鉄塔。
空手会館を造るためには、従来の鉄塔の位置が邪魔だったのでしょうね。
↑ 「濤魄の塔(とうはくのとう)」です。追悼式はこの塔の前で行います。
「塔」と言っても、高さは人の背丈ぐらい。
右は文字が大きいから読めますが、左の石碑にも何やら小さく字が書かれています。
↑ その左側の石碑です。(また回転させてない。すみません。)
↑ こちらは右側の石碑。
追悼式が始まる前に、城址公園北側にある「山部隊第二野戦病院壕跡」をめざしました。
↑ 線路!
豊見城城址公園が観光地として賑わっていた頃は、園内を一周する汽車が走っていました。
手前の花壇用のプランターっぽいやつも、施されているデザインが奥ゆかしいです。
↑ 園内の中央あたりにある池。
グスクとして機能していた時代は、城壁の周囲を低くして「堀」にしてたんでしょうか。
↑ 線路があれば「踏切」もあります。
↑ アスファルトの道路と並行して、線路が続きます。
↑ 猫発見!
手前の白い猫は、写真を撮って2~3歩近づくとすぐ逃げました。
↑ 奥で寝ていた黒い猫。
逃げ遅れたから「死んだふり」していたのかも(笑)。
↑ サボテン。(右はズーム)
↑ 線路。
↑ だだっ広い、広場。区で毎年開催している「グラウンドゴルフ」は、この広場で行われます。
↑ 広場からとよみ大橋も眺望できます。(右はズーム)
↑ 線路と石垣。
この石垣は、グスクの城壁ではなさそう。
↑ やっと来ました。積徳高女看護隊が従軍した病院壕での患者を祀った「患者合祀碑」です。
奥にはとよみ大橋も見えます。
積徳高女看護隊は、正式には「ふじ学徒隊」というそうです。
↑ 患者合祀碑の裏側。
↑ 患者合祀碑の表側。
この患者合祀碑のすぐ近くに、野戦病院壕に続く階段があります。
↑ 階段に差し掛かったところで、クモの糸に気付き、その先を辿ると大きなクモを見つけました。
クモの巣を壊さないように、かがんでくぐりました。
↑ やっと病院壕の入口に辿り着きました。
しかし、残念な事に入口は鉄板で半分ほど塞がってます。
案内板が崩れたんでしょうか?
これでは、貴重な戦跡が消されてしまいそうだ。
まずいでしょ!
↑ 少しずつ近寄って撮影。
↑ 壕に近寄ると、中から冷たい風が吹いてきました。
写真をよく見ると、奥のほうで白く光ってます。フラッシュが何かに反射したのだろうか?
↑ 入口上部は、看板の支柱らしきものが。
朽ち果てて、支柱のみ。
↑ 病院壕からもう少し奥のほうにも通路があるので行ってみました。
香炉も設置されています。
この写真の左側と上部がなんか不自然。
↑ 先の写真の左側。ここも壕の入り口だったのでは?
↑ 先の写真の上部。
不自然さがあったけど、写真では分かりにくいね。
↑ 慰霊祭も終わって、帰る前に「地獄坂」方面も写しました。
手前のえぐられているのは、新しくなる道路でしょう。
奥が通称「地獄坂」です。
↑ 来るときは亀甲墓に気を取られてましたが、この位置からもとよみ大橋が眺められます。
↑ 工事中の新しい道路。道幅は広そうです。
旧道路は左カーブしてますが、新しい道路はカーブの先と繋がって、直線的になるのかも。
↑ 来るときは全く気付かなかった。
よく見たら「汽車」ですよ。
開園当初は、この汽車が「目玉商品」だったのかな?
最初に写した「豊見城城址公園」の看板にも、汽車の絵柄が描かれているし。
今日は戦没者慰霊というか、豊見城城址公園の「記録・保存」が中心になった感じ。
でも、記録も大事ですからね。
Posted by 瀬長修 at 02:58│Comments(0)