南斎場落成。

2014年07月06日/ 豊見城グスク

はいさい。ご訪問、ありがとうございます。


沖縄本島の南部6市町(豊見城市、糸満市、南城市、南風原町、八重瀬町、与那原町)が利用する火葬場「南斎場」の落成式が6月下旬に行われました。


火葬場自体は必要な施設ですが、建設場所やその規模が疑問になり、地元という事もあったので調べていくと、問題の多い計画であったことが分かりました。


前もって断っておきますが、私は行政が行うあらゆる事業を好き好んで批判したい訳じゃありません。「おかしい」と思うから批判するのです。この南斎場の件も「おかしい」から批判し、反対活動をしてきました。


建設場所は、豊見城城址公園のふもとで、現火葬場(豊見城火葬場)があるところです。


豊見城城址公園は「公園」にしたからこそ、開発をまぬがれ緑豊かな公園になっています。


眼下に広がる漫湖は、県内初のラムサール条約登録湿地です。


この素晴らしい自然環境が、那覇近郊で残されているのは、珍しいし有難いことです。


ただ、地元の人のなかには、自然が残っているという事を「開発が遅れている」「取り残されている」「那覇市に負けている」と感じている人もいるようです。


その感覚というのは、インフラ整備が不十分な時代の感覚だと思います。何百メートルもの超高層ビルが立ち並ぶ現代社会。上を見れば(目指せば)キリがない、ということに気が付くべきでしょう。


話を南斎場に戻しますが、その自然豊かな場所に、現火葬場の約13倍もの敷地面積となる大規模な火葬場を造るというのが、この南斎場建設問題でした。


「おかしい」と思って調べていくと、城址公園の周辺に3本の道路建設計画があることが判明しました。


3本のうちの1本は、だいぶ前から地元が要求している「市道2号線」で、城址の裏側の長く急な坂道(通称、地獄坂)の整備を求めるものに対応した道路でした。


それはさておき、問題は他の2本です。うち1本は饒波川沿いを北上して、漫湖水鳥湿地センターのあたりまで突っ切る道路です。これは漫湖に残された唯一の自然河岸が消失することを意味します。


そしてもう1本は、火葬場とは対極に位置していて、「渋滞解消」などとは全く関係ない道路でした。ついでに言うと、市側は説明の際に「取り付け道路」と呼んでいました。私はその専門用語を知らなかったのですが、詳しい人に言わせるとその用語の使い方も間違っていました。(「取って付けたような道路」という意味なら間違いでもないか??)


なぜ、火葬場と直接関係のないこのような道路建設が計画されていたかというと、大地主である岩崎産業からの要望だったことが分かりました。火葬場を造るにはその土地を購入しなければなりませんが、岩崎産業は「城址周辺に3本の道路を造るように」と条件を提示し、市側が承諾したという訳です。


この道路建設については、市側は当初から知っていたのに、公表を避けていました。こちらが反対活動をしていくなかで、新聞でも報道されるようになり、ようやく市議会での市長答弁で明かされた、という経緯です。


ちなみに、南斎場関連の事業費は約26億円です。これに対し、3本の道路建設は約33億円です。火葬場を造りたいんだか、道路を造りたいんだか。


もし、市民が声をあげなかったら、今頃は道路も造られたということでしょうかね? ばれないように、密かに行えばいい、とでも考えていたんでしょうか?


そんな問題があったから、反対活動をしてきました。


2013年の5月に、南斎場の起工式が行われましたが、宜保晴毅市長のフェイスブックでは「大した反対もなく着工できた」という主旨の投稿を見かけました。(もう少し前の3月くらいだったか、記憶が定かじゃないです。)


「大した反対もなく」と書かれると、反対運動は全くなかったと思われかねない。そう思ったので、そのまま彼の投稿にコメントを書き入れました。その後、全く返事はありません!


それどころか、彼のフェイスブックには「立ち入り禁止」となってしまいました。コメントを書くことも出来なければ、彼の投稿を見ることも出来ません。市民との対話を拒絶する態度はいただけない。市長という立場にあるならば、市民の声に耳を傾けるべきでしょう。


辛うじて彼のブログを読むことは出来ます。


最近の記事を読むと、これまたひどいことが書いてありますね。


2014年6月21日の記事を抜粋すると「一部の反対者のため、半年も開業が遅れてしまいました。」とあります。


まあ、フェイスブックでチクリと突いた成果として、反対者がいたことを自認させることが出来ました。


しかしそのあとの文言については「市長が言う言葉だろうか」と思うような内容でした。


「反対のための反対だった」とか「議会で理不尽な追求があった」とか。


なぜ反対運動が起きたかということを「反省」する気がないようです。これまで述べてきたように「おかしな計画」だったから反対してきたのです。道路建設の話も、当初から知っていたはずですよね?それをあとから「後出しジャンケン」みたいな子供だましのような事をしていて、何の反省もないんですかね?


思うに、市長一人が問題があるという訳ではなく、その周辺の人々にも問題があると思います。「ブレーキ役がいない」という事です。或いは、周辺の人々はもっと過激な事を言っているかも知れない。


市長に対して、より良い「提言」ができる人が必要でしょうけど、彼の周りはイエスマンばかりなのだろうか。


今のままで市の施政が良くなるとは思えません。





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Posted by 瀬長修 at 00:41│Comments(0)
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