好きな言葉の一つ『貧者の一灯』。

2011年12月30日/ 環境問題

ご訪問、ありがとうございます。

数年前に瀬戸内寂聴さんの「法話集」なるものを購入しました(全12巻のCD)。

その中で『貧者の一灯』を解説しているところがありましたが、そこは心にグサグサ突き刺さるようなものがあります。

貧者の一灯は大雑把にいうと、心のこもった捧げ物は尊い、という意味。



さて、今日も「火葬場建設問題」について、人に会うことになりました。

カミンチュやユタのような霊媒体質のようでした。

私には見えないし聞こえないし、検証のしようもないんですけど、彼らの話は大体信じることが出来ました。

以下は、荒唐無稽な話? スピリチュアルな話? などがたくさん出てきますが、興味のある方はどうぞ読んでください。



今日集まった3名の方々に、一通り火葬場建設の計画などを、いろんな資料を見せながら説明していきました。

だいぶ計画が進んでしまっているのを知って、みなさん愕然としていました。

「ここはグスクなのに!」

「この場所に手を加えると言うことは、眠っている人を『ガンガンガン』と叩き起こすようなものだ」

ラムサールに登録された漫湖があるので、道は陸側に造るということについては、
「川でも陸でも、自然界から見ればひとつに繋がっている。一般の人から見ればグスクの周囲に道を造っても気にならないかも知れないが、その周辺も『グスクの一部』だから、人間で例えるなら『腕を削られる』ようなもの。それでいいの?」

などなど。
火葬場建設も道路建設もやめた方が良い、という意見で一致しました。

また、この方が仰るには、今までもいろんな「場所」に呼ばれることはあったようですが、今回の豊見城城址については、「一番強烈にかかった(呼ばれた)」との事。
症状が体に現れるそうで、それがあまりに酷いので家人からは「病院に行ったほうが良い」とまで言われたそう。

誰かの「夢」の話も出てきて、その夢では「水害」のイメージを見せられたそう。


いつ頃の新聞だったか(今年だったと思いますが)、沖縄県の北西側を震源とする地震が起きた場合の想定か何かを読んだ記憶があります。
その場所で大きな地震が起きれば、津波の可能性もあり得ます。北西と言う位置からすれば、漫湖はもろに被害を受けます。

今回の火葬場建設や道路建設は、「神々の怒りに触れる」ことになるので、絶対にやめたほうが良いとの事。

この話の最中に、豊見城の古くから伝わっている唄の話も出てきました。
ある唄には「機織(はたおり)」の話が何気なく入っていて、「機織は正しく重ね合わせていかないと、あとで失敗する」といった意味が込められていると。

その「機織」で思い出したのが、「布織地(ヌヌバタジー)」です。
布織地は最近知りました。
綿を使った機織を行っていた場所をそう呼んでいるようです。
どうやら今回の道路建設計画の「川沿いの道路」というのが、布織地にかぶさってくる感じです。
そうなる前に、布織地の正確な範囲が知りたいところです。
道路が出来てしまったら、位置の特定も難しくなるかも知れません。
そもそも道路建設もやめた方が良い。

神々(或いはその地に眠る人々)は、既にシグナル(メッセージ)を送っているそうです。

しかし、現代人の多くはそのメッセージを受け取っても、欲に負けてしまうのだとか。おそらく、夢などを見せられても「これは夢だ。現実世界とは関係が無い」といって忘れたいのかも。

字豊見城自治会では、自治会員の大多数は火葬場建設・道路建設に賛成のようです。

この「賛成」の意味は、火葬場を敢えて誘致しているという訳ではなく、「市がここに造るというなら、やむを得ない」という立場のようです。
市側が「造りたい」といっているから、地元側は「どうぞ」と返答している、という状況です。
ここが「グスク」という神聖な場所だと深く理解していれば、そもそも市側は「造りたい」とは言わないだろうし、言われても地元区民としては「ダメです」と断れたはず。

市も字豊見城区民も、前述した「欲」によって大事なものを見失ってしまったかのようです。

この事業を止めるには、やはり地元住民に目覚めてもらうと言うのが重要であると仰っていました。

みんながみんな、この事業に「賛成」という訳ではなく、心のどこかで後ろめたさがあったり「あんまり良くないはず」と思っている人たちもいるはずだ、とも。
だからそのような方々に目覚めてもらう必要がある、と。

で、私には何の因果なのか、「なにか役目があって、あなたが関わることになったんじゃない?」といわれました。
地元住民を目覚めさせるための役目でしょうか。

確かに、自治会の役員からはまったく賛同は得られず、計画も着々と進んでしまっている状況でも、まだ諦める気になりません。
活動するには、時間も、労力も、お金も、神経も使ってしまいますが、一銭も入ってきません。

それでも何かに突き動かされるが如く、活動しています。

傍から見ればバカそのものです。

まあ、今に始まったことではありませんけど。

道端に落ちているゴミを拾って、ゴミ箱に捨てるという行動も、労力がかかって一銭も入らないという点で同じなので、その延長線と考えることが出来ます。


で、話題は「どうやったら止められるのか」という核心部分に。

みんなここまで計画が進んでいることには落胆していましたが、皆さん真剣に考えてくださいました。

土地の所有者である岩崎産業に掛け合ってみても、彼らはグスクを守ろうという気はないし、自社の利益を優先するだろうから、彼らに何かを言っても聞き入れてもらえない、との事。

それでは、県には事業を止める権限はあるのだろうか?といった話になりました。

私はそこまで詳しく知らないので、わからない、としか言えませんでした。

そのことからすると、やはり地元の字豊見城区民が「目覚める」ことが重要になりそうです。


机上で話を続けても、らちが明かないといった感じでしたので、それならもう直接城址公園に入って、ウタキにいってみるしかない、ということになり4人でそこに向かいました。

ウタキは「豊見瀬ウタキ」。

そこでいろいろと神事のようなことをすると、何度も「ケンチジ」が出てくるとの事。漢字にすれば「県知事」で間違いないでしょう。

ただ、そこから先のことは教えてくれないそう。

神々はヒントを与えるのみで、ヒントを受け取った人は「自分で考えて行動しろ」ということのようです。

しかし、県知事は(辺野古の事もあるので)この火葬場建設については「推進派」になりそうですが、なんで「県知事」が出てきたんでしょうね?

それ以前に、会うのは大変そうです。

また神々は「この人がどこまでできるか(やってくれるのか)」を試したりもするらしい。

私もそうだし、私に関わった人もみんな「試されている」はず。

ここで、(私には聞こえませんが)神々からの嬉しい言葉を伝えてくれました。

「こんな切羽づまった状況で、残り時間も少ない中で、まだ諦めずに頑張ってグスクを守ろうとしている。その真心(まごころ)が嬉しい」
とのこと。

この真心が、彼らと私を引き合わせることになったようです。

彼らは豊見城に関わっている人たちではありませんが、字豊見城の人たちは沈黙してしまっているので、それで、彼らのほうまで手が伸びてきている、と説明していました。


今日聞いた話を咀嚼すると、火葬場や道路が「できるか、できないか」は、実は二の次の話で、実は「どれだけ真心を込められるか」が最も大事なことなんじゃないか?と思えてきます。

「真心を込める」という話から「貧者の一灯」を連想した次第です。



そのあと、豊見城城址公園を出て解散することになりましたが、私のカバンを見ると、トノサマバッタがへばり付いていました。
すぐに逃げるかと思いきや、左手を近づけると、小指に乗ってきました。
懐いているかのようで、小指にじーっとしがみ付いています。
このことについても解説してもらいましたが、「信じられない」というか「信じたくない」という気持ちもあって、家に帰ってからは半分魂が抜けたかのような脱力感に浸っていました。

まあ、気を取り直して、生きているだけでも充分ありがたいじゃないか、と思うようにします。



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Posted by 瀬長修 at 03:38│Comments(2)
この記事へのコメント
活動本当にお疲れ様です。
ダライラマ14世の言葉ですが,
結果が意図したことと違ったとしても,
動機(対象への善の思い)が一番大切なんだ
ということを自らの著書の中で語られています。
晴れたり曇ったりと寒暖の差が大きいので
どうかお身体ご自愛ください。
Posted by 有光智彦 at 2012年01月05日 21:56
有光さん

コメント、ありがとうございます。
「対象への善への思い」・・・これを忘れずに、大事にしていきたいと思います。
Posted by 瀬長修瀬長修 at 2012年01月06日 22:40
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