「科学」は進歩した・・・か?

2010年10月10日/ その他

ご訪問、ありがとうございます。

今日は昼過ぎに献血に行ってきました。

ご存知の方もいらっしゃいますが、私の趣味の一つは献血です。(趣味と言っていいのか分かりませんが。)

初めて献血をしたのは、高校3年生(17歳)のころでした。

担任の先生が、JRC(ジュニア・レッド・クロス、青少年赤十字)委員会の委員を務めていて、特別授業か何かのときに「献血」について学びました。

先生が仰るには、沖縄の献血事情は他県に比べて特別な事情を抱えているとの事。

沖縄は地理的に台風がよく通過します。
尚且つ、島国です。
台風が近付くと、船も飛行機も発着できません。かろうじて陸上移動は可能ですが、島内だけの移動です。

台風が近付いているときに、県内の血液の在庫が少なかった場合、他県から血液を輸送する手段がありません。(それでいて、当時は慢性的な在庫不足でした。)

そういう状況でしたので、血液は県内での「自給自足」が重要との事でした。

それまでは気にも留めていなかった「献血」ですが、「私がやらねば誰がやる」ぐらいの勢いで、頻繁に献血をするようになりました。

献血をやり始めて、半年か一年か経ったころ、前述した理由以外で「なぜ献血をするのだろうか」と考えたことがあります。

考えて辿り着いた答えは、「今の科学技術がまだまだ未熟だから」です。

例えば、大量に存在する海水やその他の物質を使って、人間の血液が作れるのであれば、わざわざ人間から血液を分けてもらう必要はないはずです。
そんなとんでもなく素晴らしい技術はありませんので、献血というシステムが長年続いています。

もちろん、科学技術の発展は目覚しいものがあって、今では人間の臓器のほとんどを人工的に作ることが出来るようです。
そこまで発達してきましたが、「血液を作る」というのはまだまだのようです。

また、科学技術が発達したとしても、それを利用する人間の意識が重要だと思います。

地球温暖化対策の一つとして、燃費の良い車を作ったり、省電力の家電を作ったりするのは良いことですが、使う側が今まで以上に長距離を走ったり、点けっ放しにしたのではせっかくの技術も台無しです。
技術の進歩は、「人間を怠惰にさせる(堕落させる)」という面もありそうなので、使い始める前に「注意しなければ」なんて思うこともあります。

技術の進歩と同時に、「心(精神面・倫理観)」も向上させるべきだと思うのですが、そこは逆方向に向かっているような気がしてなりません。

科学技術で血液を作りだせる日は来るのでしょうか。



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Posted by 瀬長修 at 21:29│Comments(0)
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